内藤家文書資料

Naito

 内藤家は、藤原秀郷等を祖とし、徳川家譜代の⼤名家である。元禄4年(1691)に内藤清枚が⾼遠領三万三千⽯を拝領して以来、明治4年(1871)の⾼遠県の廃藩およびその後の高遠県の廃止による約180年間、8代にわたって⾼遠領を治めた。代々の藩主は江⼾城内では雁の間詰、江⼾城各御⾨の警衛、⽕の番、奏者番等を勤めたが、中でも⾼遠領知以前の内藤家の当主、内藤重頼は⼤阪城代や京都所司代、若年寄等を歴任した。また、幕末の高遠藩第12代当主、内藤頼寧も天保11年(1840)に若年寄に就任するなど、幕府の要職に就いていた。
 本アーカイブの公開は、合同会社AMANE・長野県伊那市・みんなで翻刻の三者による「地域資料デジタルアーカイブの公開にむけた包括的連携・協力に関する協定」の一環として行われた。内藤家に伝えられ、高遠町図書館に寄贈された文書のうち一部の近世史料232点を公開する。

 


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